ネルソン提督伝 第8部 トラファルガー

   ネルソン・タッチ   目次に戻る

 9月28日、「ヴィクトリー」はヴィルヌーヴ艦隊の籠るカディス港の沖合に到着、それまで封鎖を担当していたコリングウッドとコールダーの艦隊を指揮下におさめた。何度も言うようにネルソンとコリングウッドは旧知の仲ではあったが、8つも年下のネルソンの方が上官になるということで気まずい雰囲気になるのではないかという危惧もないではなかったのだが、ネルソンはコリングウッドのことを強く信頼し、コリングウッドの方もネルソンの期待に応えて申し分のない働きをみせることになる。

 しかし艦長たちの大半はネルソンと面識がなかったため、ネルソンは繰り返し夕食会を開いて親交を深めつつ自分の作戦構想を説明した。通常、艦隊というのは一列縦隊(単縦陣)で航行し、海戦に際しては双方の単縦陣同士が並行して航行しつつ撃ち合うのが普通(例えばコペンハーゲンの海戦がそういう状況だった。あの時は航行せず錨を降ろしていたが)なのだが、ネルソンは、もしヴィルヌーヴ艦隊が外海に出てきた場合、自艦隊を3つの分隊に分ち、うち1個分隊は予備隊とすることにした。そして残りの2個分隊でそれぞれ同時に敵を攻撃することで相手の度肝を抜いて混乱させ、予備隊は敵が隊列を組み直すのを妨害する。その後は全くの乱戦になるであろうが、そうなってしまえば砲術と操艦技術に優るイギリス艦隊の勝利は間違いないという訳である。しばらく後にネルソンがエマに宛てて書いた手紙によれば、この戦術構想を聞いた艦長たちは「みんな電気ショックを受けたみたいになった。涙を流すものもおり、全員が賛成してくれた」そうである。

 このいわゆる「ネルソン・タッチ」は実は特に革新的な戦術という訳ではなかったのだが、ネルソンはこの作戦について夕食会等を通じて艦長たちとの詳しい検討を繰り返し、あとは彼等を信頼してその自主性にまかせることにしたという点で他の提督たちとは異なっていた。「もしも信号旗が視認出来なかったり、理解しにくい場合には、敵艦に接舷して闘ってさえいれば、諸君は絶対に間違いを冒すことはありえない」。高名な提督にここまで信頼してもらって、その期待に答えようとはりきらない艦長はいないだろう。戦列艦「マーズ」のダフ艦長曰く、「私は昨日ネルソン提督と食事を共にしたが、非常に楽しいものでした。私がかつて仕えた提督の中でも、彼は最も素晴らしい人物だ」「彼はあまりに快活な人物なので、たとえ彼から命じられなくても、我々は彼の思う通りに行動したいと思うくらいだ」。ネルソンが30日頃に本国の知人に宛てた私信に曰く「私の部下たちは期待以上の素晴らしい連中です」「私の艦隊は今や世界最高の申し分ない状態です」。(艦長の中には以前からネルソンと面識を持っている者も何人かいた。まず、アブキール湾の海戦の時にネルソンの旗艦艦長だったベリーがこの時は「アガメムノン(これもネルソンにとってはお馴染みの戦列艦)」の艦長として参加していたし、95年のジェノヴァ湾の海戦や97年のテネリフェ島攻略に参加したフリーマントル艦長もいた)

 ただ、それまでカディス封鎖艦隊の一部を指揮していたコールダー提督が「7月22日の海戦」での消極的な態度を咎められて本国召喚となった(軍法会議に呼び出された)ことはネルソンの心を傷めさせた。これはあまりにも厳しい措置であったし、しかも海軍本部はコールダーに乗艦「プリンスオヴウェールズ」から降りたうえで本国に戻ってこいと命じていた。ネルソンはコールダーの面目を慮り、「プリンスオヴウェールズ」に乗ったまま本国に帰ることを許可してやった。これから決戦という矢先に98門搭載の大型戦列艦1隻を手放すことになるが、コールダーの名誉にはかえられなかった。「航海のつつがなきこと、貴殿(コールダー)の審理の円満な決着を」。海軍本部のミドルトン提督に対しては、「苦難に直面している兄弟のために、私は正しいことをしたと理解されるものと信じております。彼のことを思えば私は耐えられない思いですし、こうした事態は一刻も早く解決されなければならないと考えています。私のとった措置が非難されようがされまいが、私は査問委員会(軍法会議)の賢明な判断に服従するつもりです」。結局コールダーは懲戒処分に付せられ、その後2度と海上勤務に戻らなかった。

   ヴィルヌーヴ艦隊出撃   目次に戻る

 その頃ヴィルヌーヴ艦隊は人員の不足に悩んでいた。相変わらず病人だらけであったし、脱走兵も出ていた。カディス港というのはそんなに大きな港湾ではないのに33隻もの戦列艦がひしめいていて物資の補給が滞っており、食糧や武器弾薬だけでなく飲料水も足りなくなっていた。10月8日、ヴィルヌーヴ提督はフランス艦隊から6名、スペイン艦隊から7名の代表を招いた軍事委員会を開催して今後の方針について協議した。ナポレオンの命令「地中海に行け」に従って出撃するか、それともこのまま引き蘢り続けるか……。会議の結果は「出撃せず」となった。つまりナポレオンの命令を無視するということである。これは軍事的には無難な決断ではあったが、会議の席でフランス側の代表とスペイン側の代表がお互いへの不信感をむき出しにするという極めてマズい状況となってしまった。フランス人は伝統的にスペイン人を馬鹿にする傾向があり、スペイン人もフランス人を信頼していなかった。そもそもスペインはフランスの強要で無理矢理参戦させられたのであったし、イギリス側のコールダー艦隊とまみえた7月22日の海戦の際にはスペイン側はフランス側にあまりよく協力してもらえなかったという印象を抱いていた。カディスの町では毎日のようにフランス兵とスペイン兵の喧嘩が起こり、そのつど死人が出た。

 12日、ナポレオンにヴィルヌーヴの後任の司令長官に任命されたロシリー提督がスペイン首都マドリードに到着した。当時はマドリードからカディスまで行くのに10日もかかったが、ロシリー提督がやってきたという情報は16〜18日頃にはカディスにもたらされた。ヴィルヌーヴはここで初めて自分が解任されたということを知った。それと同時に、風向きが(ヴィルヌーヴ艦隊にとって)良くなってきたこと、カディスを封鎖しているネルソン艦隊から一部の戦列艦が補給のためにジブラルタルに向かったという情報が入ってきた(どちらも正確だった)。汚名挽回のための絶好のチャンス到来と判断したヴィルヌーヴは「出港準備」の信号旗を掲げた。「イギリス艦隊には、我々を脅かす何物もない」「彼等は闘志も欠いているし、愛国心すらも失われている。なるほど敵艦隊は巧みに行動するかもしれないが、我々の戦闘能力も、ここ1ヶ月の間に敵と同じくらいに向上している。我々をとりまくすべての条件は、我々に輝かしい成功を約束し、帝国海軍の新時代の実現を保証してくれるものばかりである」。無論単なる虚勢である。フランス・スペインの艦長たちはヴィルヌーヴが急に積極的になったのに驚いたが、ヴィルヌーヴはパリに召喚されて死刑になるかもしれないと焦りまくり、どうせ死ぬなら正々堂々の大海戦で名誉の戦死を遂げたいと思ったのであった。

   両艦隊の戦力   目次に戻る

 19日午前6時、カディス港を見張っていたイギリス側のフリゲート艦「シリアス」は、港内のフランス艦が帆を広げているのを視認、続いて午前7時には「敵艦隊は出港しつつあり」の信号旗を掲げた。この報告はカディス沖に分散して哨戒任務についていた各フリゲート艦をリレーして午前9時30分にはネルソンの旗艦「ヴィクトリー」へと伝達された。ネルソンは例によって例のごとく封鎖を意図的に薄くして敵艦隊を誘き出すという方針でおり、指揮下の戦列艦はカディス港からは見えないところに配備、カディスの監視はヘンリ・ブラックウッド艦長の率いるフリゲート戦隊にまかせていた。ヴィルヌーヴ艦隊は翌20日にはその全てが外海へと出港し(風向きは良好だったが風力が弱かったので出港に時間がかかった)、そのことは同日午後にはネルソンのもとへと報告された。ヴィルヌーヴ艦隊の戦力は戦列艦33隻、フリゲート艦5隻、ブリッグ艦2隻であった。その詳しい内訳は……、

 まずフランス籍の戦列艦は、80門搭載(これは規定数であって実数はやや異なる場合が多い)のものが「アンドンターブル」「ネプテューヌ」「ビュサントール」「フォルミダーブル」、74門搭載のものが「アシル」「アルゴノート」「アルヘシラス」「アントレピッド」「エグル」「エロ」「シピオン」「スウィフトスュール」「デュギュアイトルアン」「フグー」「プリュトン」「ベルヴィック」「モンブラン」「ルドゥターブル」、フリゲート艦は「エルミオーヌ」「オルタンス」「コルネリ」「テミス」「ラン」、ブリッグ艦は「フュレ」であった。

 スペイン籍の戦列艦は、130門搭載のものが「サンティッシマトリニダー」、112門搭載のものが「サンタアナ」「プリンシペデアストゥリアス」、100門搭載のものが「ラヨ」、80門搭載のものが「アルゴナウタ」「ネプトゥーノ」、74門搭載のものが「サンアグスティン」「サンイルデフォンソ」「サンファンネポムセーノ」「サンフスト」「サンフランシスコデアシス」「バハマ」「モナルカ」「モンタニェス」、64門搭載のものが「サンレアンドロ」、ブリッグ艦は「アルギュス」であった。全艦隊の乗組員は総勢2万1580名、大砲は全部で2620門であった。

 ヴィルヌーヴ提督は以上の艦をとりあえず5つの縦隊に編成したが、その組み合わせは全く適当で、国籍の配慮はしなかった(どの縦隊も仏西混成にした)。彼はスペイン海軍を信頼していなかったため、こうでもしないと(しっかり見張っていないと)逃亡してしまうと考えたといわれている。以降、本稿ではヴィルヌーヴの艦隊のことを「連合艦隊」、ネルソン艦隊のことを「イギリス艦隊」と表記する。

 連合艦隊が偵察に放ったフリゲート艦は20日午後7時半頃にイギリス艦隊を発見した。イギリス側のフリゲート艦も連合艦隊に張り付き続けた。双方の主力(戦列艦群)は風向きの関係でなかなか遭遇出来なかったが、一夜が過ぎた21日の早朝、スペイン南西部トラファルガー岬の東南約19海里の地点を航行していたイギリス艦隊(戦列艦群)が東方12〜8海里の地点を進む連合艦隊を視認した。空は晴れ渡り、軽い西風が吹いたり止んだりしていたが、海面のうねりは大きかった。

 連合艦隊の5つの縦隊は夜のうちに崩れてしまい、2列縦隊(ところによっては3列縦隊)が3〜5海里に渡ってだらだらと続いていた。イギリス艦隊も隊列を乱しており、旗艦「ヴィクトリー」のマストに掲げられた信号旗に従って陣形を整えようとしたが、風が弱かったせいで整然と並ぶのは無理であった。しかも、イギリス艦隊は事前の計画では3つの分隊に分かれる予定だったのだが、少し前にルイス提督に戦列艦6隻を与えてジブラルタルへと補給に行かせていたのがまだ帰還していなかったため、分隊を1つ減らして2個分隊編成とした。左翼分隊はネルソン直率で戦列艦12隻、右翼分隊は副司令長官コリングウッド提督に率いられる戦列艦15隻からなり(両隊ともに指揮官の旗艦が先頭に立った)、どちらも単縦陣を組んで(綺麗に並ぶことは出来なかったが)並行、つまり全体としては2列縦隊で、敵艦隊の右舷側に向かって直角に交わる進路で前進した。ここでイギリス艦隊に参加していた艦の名前を並べてみれば……、

 まず戦列艦は、100門搭載のものが「ヴィクトリー」「ブリタニア」「ロイヤルソヴリン」、98門搭載のものが「テメレア」「ドレッドノート」「ネプチューン」「プリンス」、80門搭載のものが「トナン」、74門搭載のものが「アリキーズ」「エイジャックス」「オリオン」「コロッサス」「コンカラー」「サンダラー」「スウィフトシュア」「スパーシエイト」「ディファイアンス」「ディフェンス」「バレラフォン」「ベライル」「マーズ」「ミノトー」「リヴァイアサン」「リヴェンジ」、64門搭載のものが「アガメムノン」「アフリカ」「ポリフィーマス」であった。他にブラックウッド艦長の率いるフリゲート艦「シリアス」「ネイアド」「フィービー」「ユライアラス」、カッター艦「アントルプルナント」、スクーナー「ピクル」がいた。大砲は全部で2150門である。艦と砲の数では連合艦隊より劣っていたが、砲術、操船術等においては圧倒的に優っている。(ジブラルタルに補給に行ったルイス提督というのはアブキール湾の海戦やナポリ方面での戦闘に参加した人物で、1804年に少将になって以降は本国方面の艦隊に勤務していたが、エマに頼み込むことでネルソンの指揮下に入れてもらった。これから始まる「トラファルガーの海戦」に参加出来なくなったのはかえすがえすも残念であった)

   連合艦隊反転   目次に戻る

 連合艦隊は右舷側から風を受け、トラファルガー岬の沖を南に向かって進んでいた。ところが、2列縦隊で進んで来るイギリス艦隊を見たヴィルヌーヴ提督は午前8時頃、「このままでは我が艦隊はイギリス艦隊に2分されるばかりか退路まで断たれる」と判断した。つまり2個分隊からなるイギリス艦隊のうち1個分隊は中央突破を、もう1個分隊は退路を断つつもりでいると解釈した訳だが、ヴィルヌーヴ提督はそうなる前に各艦ごとに反転して進路を北にとれとの命令を発した。針路をカディス方面(北)に向けることで退路を確保しておこうという訳である。死ぬ気で出撃してきたのにそりゃないだろうと突っ込みたくなるし、はたしてこれが裏目に出る。彼の艦隊は日頃の訓練不足が祟り、反転を終えるまでに2時間もかかってしまったのである。あるスペイン艦の艦長は「艦隊はもうおしまいだ。フランスの提督は自分の商売を知らないんだ。あいつのおかげでみんな破滅だ」と語った。しかしスペイン側も重大な問題行動を起こしていた。ヴィルヌーヴの当初の計画では、33隻の戦列艦は自分の率いる21隻の本隊とグラヴィナ提督(スペイン人)の率いる12隻の予備隊(その中身は仏西混成)に分かれることになっており、予備隊は本隊よりやや風上(西側)側に離れたところに位置して、イギリス側の動きに応じて増強が必要だと思われるポイント(本隊の弱点になりそうなポイント)に風を背にして素早く駆けつける(いちいち説明するまでもないが帆船というのは背後から風を受けると速度があがる)という役割を与えられていたのだが、グラヴィナ提督はどういう訳か自分の役割を放棄し、「本隊からやや風上側に離れたところ」ではなく「本隊の後ろ」に位置してしまった。これでは予備隊としての機能が半減してしまう。(正確にいえば、本隊はさらに4つの分隊にわかれていた。これから始まる海戦で最も重要な動きをみせるのはそのうちのデュマノア隊である)

 その様子を見たネルソンは攻撃の好機到来と判断、「すべての帆を展帆せよ」との信号旗を発して艦隊の速度をあげさせた。しかしこの日の風力は極めて弱く、各艦は帆を一杯に張ったにもかかわらず3ノット以上の速力はなかなか出せなかった。つい最近修理したばかりだった戦列艦「ロイヤルソヴリン」を先頭に押し立てたコリングウッド隊の方がやや先行しており、ゆるゆると進む「ヴィクトリー」艦上のネルソンは敵艦隊を見やりつつこの日の日記に以下のように記した。「尊敬する偉大な神よ。愛する祖国を守護し給え、ヨーロッパの利益のために、偉大にして輝かしい勝利のために力をかし給え。勝利の光栄を汚すような誤った指揮を、我々の誰しもが冒さないように、また勝利をあげた後も、世界に優越した輝ける将来がイギリス海軍に続きますように、あなたの恵みを与え給え。私自身は、私を造り給うあなたに私の生命を委ねます。そして祖国に忠誠を尽くそうとする私の努力に、神よ恩寵を与え給え。アーメン、アーメン」。各艦に乗組んでいる軍楽隊が「ゴッド・セイブ・ザ・キング」や「ルール・ブリタニカ」といった曲を演奏して乗組員を勇気づけた。ネルソンも「ヴィクトリー」の艦内を歩き回り、「けなげな諸君、生き残ったなら、今日はイギリスにとって輝かしい日になるぞ」と激励した。その一方でネルソンはふとコールダー提督のことを思い出し、そばにいた部下に「気の毒に、コールダーは何としてもこの場にいたかったろうな」と語った。フランスの各艦では「皇帝万歳! われらが艦長万歳!」という歓声があがり、スペインの各艦では大きな木製の十字架が目立つところに掲げられ、ミサが行われた。

 この日ドイツ南部のウルムにおいて、フランス大陸軍の包囲下に落ちたオーストリア軍3万3000名と大砲65門が降伏した。大陸軍の第2軍を指揮していたマルモン将軍が後に語って曰く、「このような素晴らしい光景は2度と見ることはできないであろうし、私は今でも生き生きとその光景を思い出すことができる。勝利の喜びに酔い痴れる兵士たち!」「一兵卒に至るまで、全軍に溢れたかつてない闘志と自信!」「今や、いかなる作戦をも可能とし、至る所敵無しのわが大陸軍!」。まさしく、この後のフランス大陸軍は常勝無敵、全ヨーロッパ大陸をところ狭しと駆け回ることになる。

   トラファルガーの海戦   目次に戻る

 話を大西洋に戻して、正午少し前、イギリス艦隊はようやく艦砲の射程距離内に敵連合艦隊を捉えた。ネルソンがあの有名な歴史的信号旗の掲揚を命じたのはこの時である。旗艦「ヴィクトリー」の3本のマストに翻る31旒の信号旗の意味は以下の通り。「英国ハ各員己ガ義務ヲ果タサンコトヲ期待ス England expects that every man will do his duty」全艦隊から大歓声がおこり、すでに敵艦隊間近に接近していたコリングウッドに至っては「我等ハ既ニ此ノ如ク義務ヲ果タシテイル」と答えてよこす。イギリス艦隊の志気は最高潮に達した。(実はネルソンは、「期待ス」ではなく、「信ズ」にするつもりであったが、信号旗の都合で変更した)

 そして正午ちょうど頃、フランス艦隊の74門搭載戦列艦「フグー」がコリングウッド隊の先頭を進んでいた「ロイヤルソヴリン」めがけて砲撃開始、ここに「トラファルガーの海戦」が始まった。続いて「フグー」の前にいたスペイン艦「サンタアナ」も砲撃を開始する。「フグー」も「サンタアナ」もやたらと遠くから撃ちまくったが、「ロイヤルソヴリン」は思い切り相手に接近してから砲撃を開始した。しかしネルソンは「もっと接近して戦え」という信号旗を掲げた。これはネルソンが掲げた最後の信号旗となった。司令長官としてやるべきことはやったので、あとは各艦長にまかせるということである。「もはや人事は尽くした。あとはわれらが大義の正しさを信じて、天命を待つばかりだ。わが義務を果たす機会をお与えくださった神に感謝しよう」。

 これに対して連合艦隊の各艦はヴィルヌーヴが発する細かい指示に従う義務があった。「フグー」が遠距離から砲撃開始したのもヴィルヌーヴの指示によるものであり、ただでさえ訓練不足な砲手がそんなことをやっても弾の無駄なのだが、ヴィルヌーヴ的には乗組員の志気に配慮したつもりであった。しかも、フランス・スペインの海軍は伝統的に敵艦をなるべく傷つけないで拿捕するために相手の船体ではなくマストや索具を狙いたがる傾向があり、そのせいで余計に命中率が低かった(接近戦に持ち込まれる前に操艦不能にしたいという意図もあった)。さらにおまけに、この日は海面のうねりが大きかったせいで大砲の照準がつけ難かった。

   コリングウッド隊の戦況   目次に戻る

 「ロイヤルソヴリン」が「フグー」とその前にいたスペイン艦「サンタアナ」の間を突破したのが12時11分頃である。その時「ロイヤルソヴリン」は「サンタアナ」の艦尾に向かって2度縦射を喰らわせ、その乗組員のうち約400名を殺傷した。その様子を見たネルソン曰く「見給え! コリングウッドが何と見事な戦いぶりだろう!」。「ロイヤルソヴリン」はそのまま左に舵をきって「サンタアナ」の右舷を叩こうとしたが、相手も大損害にめげずに応戦、そのうちに「フグー」その他のフランス・スペイン艦が接近してきたため、その包囲下に落ちた「ロイヤルソヴリン」は一度に5隻の敵艦を相手の戦闘を強いられた。フランス・スペイン艦の放つ砲弾が「ロイヤルソヴリン」を飛び越えて味方艦に命中したり、空中で砲弾と砲弾が衝突したりしたという。やがて「ロイヤルソヴリン」の後ろに続いていたイギリス艦「ベライル」が駆けつけ、フランス艦1隻を追い払った。

 「ベライル」に続いて「マーズ」「トナン」「バレラフォン」が戦闘に突入する。いくらか楽になった「ロイヤルソヴリン」はその後は「サンタアナ」との叩き合いを展開した。「ベライル」は「フグー」と、「マーズ」はフランス艦「プリュトン」と、「トナン」はスペイン艦「モナルカ」と撃ち合い、「バレラフォン」はスペイン艦「バハマ」に3度に渡って斉射を喰らわせその火薬庫を爆発させた。しかし「バレラフォン」はその後、「バハマ」にとどめを刺そうと回頭したところで砲煙の中からぬっと現れたフランス艦「エグル」と衝突、そのままマストや索具が絡み合った状態で殴り合いとなった。

 「ベライル」はフランス艦「フグー」の砲撃でマスト1本を折られ、それが自艦の後部の砲門を塞いでしまったうえに、数隻の敵艦の砲撃を相次いで喰らったために126名の死傷者を出してしまう。離脱していく「ベライル」の向こう側でフランス艦「プリュトン」と戦っているイギリス艦「マーズ」の姿を見た「フグー」は、「マーズ」目掛けて斉射を喰らわせ、艦長以下多数を殺傷した。「マーズ」は向きを変えようとしたところで「プリュトン」に(絶好の角度から)斉射を浴びせられ、マストと索具を全部失って航行不能となった。相手のマストを狙いたがるフランス式の砲術はうまく決まればこんな具合に相手を航行不能に追い込むことが出来た訳だが、相手の船体を好んで狙うイギリス式の砲術の方が、砲弾のみならずそれが命中した時に飛び散る船体の破片(木片)と合わせて大量の人員を殺傷することが出来た。

 その間、コリングウッド隊の後ろの方にいた艦も続々と戦域に飛び込んで来た。フランス艦「スウィフトスュール」との殴り合いを開始した「コロッサス」の甲板では、戦闘の最中に家畜籠から逃げ出してきた鶏が某海尉の肩に飛び乗り、大きな声でコケコッコーと鳴いた。この珍事に乗組員一同大喜びである。「リヴェンジ」は斬り込みをかけようと近寄ってきたスペイン艦「プリンシペデアストゥリアス」に砲撃を浴びせ、マストから飛び移ろうとしていた多数の乗組員を殺傷した。もはや大混戦だが、イギリス艦は敵と味方を間違えないよう船体を市松文様に塗装していた。

   ネルソン隊の戦況   目次に戻る

 ネルソン隊に対しては12時20分頃からフランス艦による砲撃が始まった。その時もフランス・スペイン艦はやたらと遠くから撃ちまくり、ネルソンの旗艦「ヴィクトリー」は致命傷こそ喰らわなかったものの帆や索具にかなりの損傷を受けた。舵輪が吹き飛ばされたので人力で(40人がかりで)舵柄を操作しなければならなくなり、ネルソンのすぐ側にいた司令長官付き秘書官ジョン・スコットや、艦尾に整列していた海兵隊員のうち8名が砲弾にあたって戦死した。ネルソンは海兵隊の整列を解き、艦の各所に分散させた。さらに、後甲板を並んで歩き回っていたネルソンと旗艦艦長ハーディの間を砲弾が飛び抜ける。やがて「ヴィクトリー」の砲も射撃を開始した。

 そして12時45分頃、「ヴィクトリー」は連合艦隊の前から12番目にいた「ビュサントール」とその後ろを占める「ルドゥターブル」の隙間に割り込むことに成功した。「ビュサントール」はヴィルヌーヴ提督の旗艦である。ヴィルヌーヴ提督は自分のすぐ後ろに割り込んできた「ヴィクトリー」に向かってフランス帝国のシンボル「帝国の鷲」を掲げ、「こいつをイギリス艦の上に投げるぞ。乗り込んで取り戻そう! さもなくば死だ!」と叫んだ。彼は「ヴィクトリー」が「ビュサントール」に斬り込みをかけてくるのではないかと思ったが、そうはならなかった。

 ともあれ、「ヴィクトリー」の突入と、先刻のコリングウッド隊の突入とで、イギリス艦隊は連合艦隊を3つに分断することに成功した。連合艦隊のうち先頭から8隻目まではデュマノア提督(フランス人)に率いられていたが、彼はヴィルヌーヴ提督が掲げた「戦闘行動に移れ」という信号旗を無視し、どんどん前へ前へと進んでいって(戦域から離れていって)しまった。ヴィルヌーヴは問題の信号旗に「デュマノア隊は180度回頭せよ」という意味を含めたつもりであったが、抽象的すぎたうえに誰に対して命令してるのか分からず、さらに砲煙か何かのせいでデュマノア提督の目に信号旗が映らなかったのではないかといわれている。ネルソンの部下の艦長たちはこういう場合には個々の判断で行動して構わないことになっていたが、連合艦隊の艦長(もしくは分隊の指揮官)たちは上からの具体的な指示がなければ何も出来なかった。

 「ヴィクトリー」はまず「ビュサントール」目掛けて至近距離から斉射を繰り返し、その乗組員を約400名殺傷した。その時「ビュサントール」のマストから撃ち落とされたフランスの軍艦旗が「ヴィクトリー」の甲板を覆った。しかしその時の砲煙が流れ去らないうちに近くにいたフランス艦「ネプトューヌ」の砲撃を浴びた「ヴィクトリー」も大損害を出す。その付近には別のフランス艦「ルドゥターブル」や、スペイン海軍の誇る世界最大の戦列艦「サンティッシマトリニダー」がいた。「ヴィクトリー」は位置的に「ネプトューヌ」に反撃出来なかったが、右舷の砲で「ルドゥターブル」を、左舷の砲で「サンティッシマトリニダー」を攻撃、続いて「ルドゥターブル」に接近戦をしかけ、その左舷側にほとんど接触する態勢となった。(少し後に完全に接舷)

 ネルソンの旗艦「ヴィクトリー」が104門搭載だったのに対してフランス艦「ルドゥターブル」は74門搭載にすぎなかったが、後者のリュカ艦長は、以前から砲撃よりも小銃を用いた銃撃や斬り込みの訓練に重点を置いていた。砲術ではイギリス海軍に勝てっこないが、銃撃なら割と簡単に(しかも少ない資材だけで)上達するからである。そんな訳でリュカはマストの上に大勢の兵員を配し、「ヴィクトリー」の甲板めがけて大量の銃弾を撃ち込んできた。(ネルソンはマストの上で火器を使うのは好まなかった。帆布に引火する可能性があるからである)

 「ヴィクトリー」に続き、ネルソン隊の「テメレア」「ネプチューン」「リヴァイアサン」等が続々と連合艦隊の戦列に割り込んでいったが、隊の後ろの方にいた艦は(風が弱いせいで速力が出ず)なかなか突入出来ず、戦列に割り込んだら割り込んだで余計に風を掴み難くなって、時には1ノット以下の速力しか出せないという有り様である。

   ネルソン負傷   目次に戻る

 「提督、どうぞ服を着替えてください」という旗艦艦長ハーディの忠告にもかかわらず、ネルソンは提督用の上衣に身をつつみ、さらに左胸に4つの勲章をさげて後甲板を行き来していた。実はハーディはネルソンに対して少なくとも直接的にはそんな忠告はしなかったという説もあるのだが、とにかくネルソンは安全なところに隠れたり目立たない格好をしたりはしなかった。アブキール湾の海戦の時のブリューイ提督がそうだったように、海軍士官たるものは砲弾や銃弾が飛び交う戦場の真ん中で平然と振る舞い続けることにおのれの名誉をかけるべきなのである。しかし、この様な目立つ姿は「ルドゥターブル」のマストから射撃を続けるフランス兵の格好の標的となった(らしい。本当に識別出来たかどうかについては議論がある。この日のネルソンが着ていた上衣は確かに提督用のものではあったが、相当に着古した地味なものであったし、胸の勲章は本物ではなく針金で作った複製でしかもくすんだ色をしていた。また、この時の「ヴィクトリー」艦上は砲煙が渦巻いていて敵艦のマスト上からでは人物の識別は困難であったと思われる)。

 そして午後1時15分頃、わずか15メートル足らずの距離から発射された銃弾がネルソンに命中した。弾は左肩に下向きの角度で入り、左肺を貫通、2本の肋骨を砕き、大動脈と脊髄を切断、右の肩胛骨の下で止まった。助かる見込みのない致命傷であった。彼が倒れ込んだ場所は、少し前に彼の秘書官が砲弾を喰らって戦死したのと同じところで、その時に流れた秘書官の血がネルソンの上衣に染み込んだ。しかし意識はかなり明瞭で、「ついに彼らは私をやったよ、ハーディ!」「大丈夫ですよ、閣下!」「いや、背骨を射貫かれたのだ」。ネルソンは下の甲板の軍医のところに担ぎ込まれたが、そこでも軍医に向かって「残念だな、ミスタ・ビーティ。君には何もできないよ。もうほんの少ししか生きられない。背中を貫通だ」と語った。ネルソンを打ち倒したフランス兵の名前は何というのか、彼がその後どうなったのかは不明である。また、問題の銃弾はネルソンを直接狙って撃ったものではなく、流れ弾もしくは跳弾であったともされている。

   「ルドゥターブル」降伏   目次に戻る

 戦闘はその後も続く。ネルソンを打ち倒した「ルドゥターブル」はさらに斬り込み攻撃をしかけようとしたが、これは「ヴィクトリー」の海兵隊や水兵たちの反撃にあって速やかに撃退され、再度の斬り込み準備をしていたところに(「ルドゥターブル」の右舷側に)近寄ってきたイギリス艦「テメレア」の砲撃を受けて大損害を被った。「テメレア」はそれ以前にフランス艦「ネプトューヌ」と撃ち合っており、その時に被った損傷のせいで操艦出来なくなっていたため、やがて「ルドゥターブル」と衝突してしまった。その「ルドゥターブル」の左舷側には「ヴィクトリー」が接触したままになっていた(索具やマストが絡まってしまった)ため、「テメレア」「ルドゥターブル」「ヴィクトリー」の3隻はそのまま身動きがとれなくなった。接舷したままでも砲撃は続けた(つまりいわゆる零距離射撃になった)が、その時に火薬等に引火して火事になったりしたら敵も味方も心中してしまうので、各砲の横にバケツを持った火消し係が待機し、砲の発射と同時に敵艦に向かって水をぶちまけた。

 このような有り様を見て斬り込み攻撃のチャンスと思ったフランス艦「フグー」が「テメレア」に接近してきたが、「テメレア」は右舷砲……それまで射撃の機会がなかった……の斉射によって「フグー」に大打撃を与えた。ちなみに「テメレア」は98門、「フグー」は74門であった。「フグー」はそのまま「テメレア」に接触して動けなくなり、ここに戦列艦4隻のサンドイッチが出来上がった。そこで「テメレア」は副長の指揮する斬り込み隊を編成、さっきの砲撃で再起不能になっていた「フグー」をたちまち拿捕した。

 その間、「ヴィクトリー」が「ルドゥターブル」から離れることに成功したが、その際に後者のマスト2本が折れたため、それまで猛威を振るっていたマスト上からの銃撃がおさまった。「テメレア」は「ルドゥターブル」に対しても斬り込み攻撃を敢行、「ルドゥターブル」の最後の抵抗を排除して降伏に追い込んだ。「ルドゥターブル」は「ヴィクトリー」と「テメレア」に両舷から叩かれまくったため、乗組員643名のうち300名が戦死、222名が負傷するという惨状であった。

   「ビュサントール」降伏   目次に戻る

 ヴィルヌーヴ提督の旗艦「ビュサントール」に対しては午後2時頃、まずイギリス艦「ネプチューン」が接舷、続いて(イギリス艦隊の)「リヴァイアサン」と「コンカラー」が接近した。さらに「アガメムノン」や「ブリタニア」も砲撃を加える。ヴィルヌーヴ提督はデュマノア隊に対し助けに来いという信号旗を掲げた(今回は明確にデュマノア隊を名指しした)が、何の反応も得られなかった。「ビュサントール」はイギリス艦5隻の真っただ中に孤立して乗組員約800名のうち約450名が死傷、脱出しようにも帆を操るための索具が残らず吹き飛びボートの類も全部壊れてしまった。もはや進退窮まったと判断したヴィルヌーヴ提督は「ビュサントール」のマジャンディ艦長に降伏を命じた。

 イギリス艦隊からは「コンカラー」の海兵隊がヴィルヌーヴ提督の降伏を受理すべくボートで「ビュサントール」へと向かったが、相手艦に乗り立った海兵隊の責任者はヴィルヌーヴの剣を受け取る(降伏を受理する)ような重要な仕事は「コンカラー」のペリュー艦長に委ねるべきであると判断し、ヴィルヌーヴとマジャンディをボートに乗せて「コンカラー」に引き返そうとした。しかしその頃には「コンカラー」は新しい獲物を探して走り去ってしまっていたため、ヴィルヌーヴたちは近くにいた「マーズ」のダフ艦長に剣を差し出したのであった。(ヴィルヌーヴはこの海戦の1年後に捕虜交換でフランスに帰国、しかしその直後に心臓にナイフを突き立てて自殺した。ナポレオンの命令で暗殺されたという説もある)

 しかしこれはヴィルヌーヴ個人と「ビュサントール」だけが降伏するという意味であって、連合艦隊の全部が降参したという訳では決してない。「ネプチューン」「リヴァイアサン」「コンカラー」は次の標的をスペイン艦「サンティッシマトリニダー」に定めた。「サンティッシマトリニダー」は……1797年の「サン・ヴィセンテ岬の海戦」の時にも説明したが……大砲の数だけなら世界最強であった(乗組員も奮戦した)が安定性や航行性能が悪く、「世界最大の戦列艦をしとめる」という名誉と栄光、そして拿捕賞金を求めて群がってくるイギリス艦3隻の猛攻の前にマスト全部をなくして廃船同様となった。

 そこに今度はイギリス艦隊で一番小さな(64門搭載)戦列艦「アフリカ」が接近、倍も大きな「サンティッシマトリニダー」へと勇猛な砲撃を浴びせた。これで力尽きた「サンティッシマトリニダー」が反撃を停止すると、「アフリカ」は相手艦を接収するためのボート隊を送り込んだが、返事は「我々には降伏する意志は全くない。どうかお引き取り願いたい」というものであった(極めて丁重なスペイン式の礼儀で対応された)。「アフリカ」は「サンティッシマトリニダー」の接収を諦め、別の獲物を探して走り去った。

 コリングウッド隊の方は……、コリングウッドの旗艦「ロイヤルソヴリン」はスペイン艦「サンタアナ」と2時間に渡って戦い続け、午後2時15分になってようやく相手を降伏に追い込んだ。「サンタアナ」はマスト全部、「ロイヤルソヴリン」もマスト2本を失っていた。その他の艦の様子は……、フランス艦「アルヘシラス」がイギリス艦「トナン」の艦尾に縦射を喰らわせようとしたがうまくいかず、それどころか接近しすぎて衝突してしまった。「アルヘシラス」のトゥルヌール艦長はこの機を利用しての斬り込みを命じたがそれも失敗する。イギリス艦「バレラフォン」はフランス艦「エグル」から手榴弾(のようなもの)で攻撃されたが、前者に乗組んでいたカムビー海尉が甲板に転がってきた手榴弾が爆発する直前に拾って投げ返した。「エグル」はその後「バレラフォン」から離れ、イギリス艦「ベライル」との戦闘に突入した。

   後続艦の戦域突入   目次に戻る

 その頃、コリングウッド隊の戦列の後ろの方にいた「ディファイアンス」が戦域に飛び込み、これを阻止しようとしたフランス艦「ベルヴィック」とスペイン艦「プリンシペデアストゥリアス」が衝突した。「ディファイアンス」が来てくれたおかげでコリングウッド隊の他の艦はかなり楽になった。やがて力尽きたフランス艦「アルヘシラス」やスペイン艦「サンファンネポムセーノ」が降伏した。イギリス艦「トナン」からボートが出て「サンファンネポムセーノ」の接収に向かったが、流れ弾が当たったか何かで(ボートが)沈没した。そこで別のイギリス艦「ドレッドノート」の出したボートが「サンファンネポムセーノ」を接収した。

 ネルソン隊の後ろの方にいた「オリオン」「スパーシエイト」「ミノトー」も遅ればせながら戦闘に加わってきた。このうち「オリオン」はコリングウッド隊の戦っている方向へと進み、そちらでスペイン艦「バハマ」及びフランス艦「スウィフトスュール」を相手にしていた味方艦「コロッサス」を助けようと撃ちまくった。これで大損害を被った「スウィフトスュール」は安全なところに退避しようとしたが、同艦は針路を誤って「バハマ」の砲撃の邪魔をしてしまった。これを見た「コロッサス」はまず「スウィフトスュール」に何度か斉射を叩き込み、そのうえで「バハマ」を集中的に叩いて降伏に追い込んで、続いて再び「スウィフトスュール」を叩いて降伏さた。

 コリングウッド隊の前から2番目にいた「ベライル」は戦闘の序盤にフランス艦「フグー」にマスト1本を折られ、さらに「エグル」と戦って残りのマストも失った。舷側も艦首も艦尾も叩かれまくってボロボロである。ところがそこに味方艦「スウィフトシュア」と「ポリフィーマス」が助けにきてくれたおかげでどうにか一息つくことが出来た。

 「エグル」は「ベライル」から離れたが、その次に今度は「ディファイアンス」と戦闘になった。「ディファイアンス」は30分ほど「エグル」との砲戦を行い、相手の抵抗が止んだように思えたのでボートで斬り込み隊を送り込むことにした。しかし「ディファイアンス」のボートは全部壊れていたので斬り込み隊は「エグル」まで泳いでいったのだが、「エグル」乗組員は降伏を拒否して激しく応戦した。斬り込み隊は母艦にロープを投げてそれを伝うか海に飛び込んで泳ぐかして脱出した。「ディファイアンス」のダラム艦長は斬り込み隊を収容したうえで砲撃を再開、30分後には「エグル」を完全に降伏させた。その前後にはフランス艦「ベルヴィック」、スペイン艦「アルゴナウタ」「サンイルデフォンソ」が相次いで降伏した。

 ネルソン隊の方も、「リヴァイアサン」がスペイン艦「サンアグスティン」を拿捕した。ネルソンの旗艦「ヴィクトリー」の乗組員たちは敵艦が1隻また1隻と降伏するごとに大歓声を放ったが、下の甲板で寝ているネルソンはそのような大声を聞いて不安になり、「何故あのように騒いでいるのか」と周囲に尋ねた。近くにいた海尉が事情を説明すると、ネルソンも大いに満足した。とはいってもネルソンは脊椎骨の第6番目と第7番目の間に生じる鋭い苦痛と感覚の麻痺、手足の不自由等を訴え、呼吸はせわしく困難に、脈拍は弱く不規則になっていった。

   デュマノア隊回頭   目次に戻る

 午後1時45分頃、デュマノア隊がようやく回頭を開始した。しかし風がほとんど無くなっていたうえに波のうねりが大きかったため、デュマノア隊の各艦はボート(手漕ぎ)に曳航させて向きを変えねばならず、味方艦同士の衝突事故まで発生した。イギリス艦隊からは「オリオン」とその他何隻かがデュマノア隊を防ぎに向かった。その頃ネルソンは混濁していく意識の中で旗艦艦長のハーディが無事でいるかどうかしきりに心配していたが、やがてハーディ自身が下まで降りてきて無事な姿を見せた。「わが艦隊は1隻も降伏していないだろうな、ハーディ」「いかにも閣下、そんな懸念はまったくありません」。しかし、デュマノア隊がこのまま向かって来た場合、長時間の激闘で疲れ果てている「ヴィクトリー」や「ロイヤルソヴリン(コリングウッドの旗艦)」が立ち向かうのは極めて困難と思われた。特に「ロイヤルソヴリン」は航行不能に陥っており、味方のフリゲート艦に曳航してもらっていた。

 デュマノア隊からはまずフランス艦「アントレピッド」が突進、イギリス艦「オリオン」「アフリカ」と激しく撃ち合った。スペイン艦「ネプトゥーノ」が続こうとしたが初動が遅れ、イギリス艦「ミノトー」「スパーシエイト」に遮られた。デュマノア隊の他の艦(デュマノア提督の旗艦を含む)はイギリス艦といくらか撃ち合ったが手酷い損傷を受けたため戦闘を切り上げ、戦域から離脱してカディスに向かうことにした。しかしその時にデュマノア隊が放った砲弾が、既にイギリス艦隊に降伏していたスペイン艦に命中してしまった。それらの艦でイギリス軍の捕虜になっていたスペイン人たちは怒り狂い、デュマノア隊と戦うから武器を返してくれとイギリス側に申し出た。イギリス側はスペイン人の名誉心を信頼し、武器を返して配置につかせてやった。デュマノア提督はこの件について、スペイン艦を意図的に狙った訳ではないと主張している。さらに彼は、いったん海面の穏やかなところで艦を修理してからまた戻って来るつもりだったとも述べている。しかし、翌日(22日)の朝になってから様子を見てみると海上にはイギリス艦とそれに捕獲された味方艦しかいなかったため、他の艦は既にカディスに向かったと判断して自分もそちらに向かうことにしたのだ、と。

   ネルソンの最期   目次に戻る
 
 話を21日の午後に戻す……、その意図が何であれデュマノア隊は戦場を去り、イギリス艦隊の勝利は確定的となった。「ヴィクトリー」ではハーディ艦長が再びネルソンのところに行って状況を報告した。「完璧な勝利です。ただ、各艦がはっきりとは見えないので、何隻の敵艦が捕獲されたのかは不明です。しかし、14〜15隻の敵が降伏したことは確かです」「それはよかった。だが、わたしは20隻と踏んでいたのだ。もう数分もすれば死んでしまいそうな気がする。ハーディ、海には捨てないでくれ」「とんでもない。もちろんそんなことはいたしません」「最愛の令夫人ハミルトン(エマ)のことをよろしく頼む。かわいそうな令夫人ハミルトンのことをよろしく。ハーディよ、キスしておくれ」。ハーディはネルソンの額に接吻した。「ハーディ、君に神の祝福を」。ハーディは艦の指揮をとるべく上の甲板に戻った。

 ネルソンは側に付き従っていた従軍牧師のスコット博士に「博士、わたしはいままで大きな罪はおかしませんでした。忘れないでください、わたしは令夫人ハミルトンと、わが娘ホレイシアを、祖国への遺産として遺して逝くのです。それから、ホレイシアのことを忘れないでください」と頼み込んだ。ネルソンがこときれたのは午後4時30分もしくは45分頃であった。享年47歳。直接の死因は大量の体内出血で、最期は「神に謝す。我は我が義務を果たせり Thank God, I have done my duty」という言葉を繰り返し、「神とわが祖国……」と言いかけていたという。

   「アシル」爆沈   目次に戻る

 午後5時頃、まだ生き残っていたフランス・スペイン艦が退却を開始した。しかし、デュマノア隊で例外的に奮戦していた「アントレピッド」はマストを全て失って廃船同様となり降伏、同艦に続こうとしていた「ネプトゥーノ」もイギリス艦2隻に叩かれて大損害を出し、やがて降伏した。5時30分頃にはスペイン海軍の象徴ともいうべき「サンティッシマトリニダー」が降伏した。早い段階で戦力を喪失し海面を漂っていた同艦はもはや木の残骸であった。降伏の儀式は丁重に行われ、捕虜になった士官にはお茶が振る舞われたりした。捕獲艦の接収に乗り込んだイギリス水兵と降伏したフランス・スペイン水兵が協力して浸水をかいだす光景があちこちで見られた。どうにか降伏せずに離脱していく艦もボロボロである。

 その頃になっても戦っていたのは、フランス艦「アシル」だけであった。74門搭載の「アシル」はそれまでにイギリス艦「リヴェンジ」「スウィフトシュア」「ポリフィーマス」と戦って大損害を出し、しかも小規模な火災を起こしていた。そこに、イギリス艦隊の中で最も戦闘に加わるのが遅れていた「プリンス」が現れ、「アシル」に向かって斉射を3度お見舞いした。これで「アシル」のマストは全て倒壊し、そこ(マストの残骸)に火が燃え移ってたちまち全艦を覆う猛火となった。「プリンス」は炎を避けるために遠ざかりつつボートを出し、「アシル」の甲板から海に飛び込むフランス水兵を救助した。イギリス艦隊のカッター艦「アントルプルナント」とスクーナー「ピクル」も可能な限り「アシル」に接近して救助作業を手伝った。

 やがて「アシル」は大爆発を起こして沈没した。その時の黒煙はスペインの海岸からもよく見えたという。救助されたフランス水兵は海に飛び込む時に泳ぎやすいよう服を脱ぎ捨てていたため、イギリス側は彼等に服を支給してやった。フランス人の中には女性もいたし、犬もいた。女性はイギリス艦で個室を与えられ、犬はイギリス水兵に可愛がられてその後15年も生きたという。

   決算   目次に戻る

 ともあれ、「アシル」の爆沈により、「トラファルガーの海戦」はその幕を閉じた。イギリス艦隊の各艦にネルソン戦死の報が通達された。ある士官候補生曰く「みんなに広がった暗い雰囲気を見たら、知らない人はこっちが勝ったんじゃなくて、敗れた側だと思ったことだろう」。この海戦におけるイギリス艦隊の戦死者は449名、負傷者は1190名、沈没した艦艇はゼロであった。対してフランス・スペイン連合艦隊の戦死及び溺死者は推定約4500名、負傷者約2000名、戦列艦1隻が爆沈、17隻がイギリス側に拿捕されていた。しかも拿捕艦の大半は海戦終了後に発生した暴風雨を乗り切れなかったため破棄となった。その際に捕虜たちはイギリス艦に移送されたが、動かせないような重傷者は置いていくしかなかったため、相当数が溺死した。左記の「フランス・スペイン連合艦隊の戦死及び溺死者」にはこの時の死者も含んでいる。カディス港へと辿り着いた艦は11隻で、デュマノア隊のうち4隻は港に帰り着く前にイギリス艦隊と遭遇、拿捕された。ナポレオンはこの海戦に関する報道を禁止したが、ネルソンのことは素直に賞賛し、フランス海軍の全ての艦艇に「英国ハ各員己ガ義務ヲ果タサンコトヲ期待ス」のフランス語版の信号旗を掲げることを命じた。

 イギリス本国に対しては、コリングウッドのしたためた報告書を託されたスクーナー「ピクル」が急行、1000マイルの距離を8日で駆け抜け、11月4日にはファルマス港に到着して政府や海軍本部に勝報とネルソンの死を伝達した。「今まさに、小職(コリングウッド)は慟哭の淵に溺れんとしております。我々は後世に不朽の名を残すべき1人の英雄を失いました。しかし、小職にとって、この英雄は若い頃から親しくした終生の友人であり、その隅々まで知り尽くしております。また、彼の人に抜きん出た思考にどれほど励まされて参ったことでしょう。この友の死に直面して、小職は心が張り裂けんばかりです。確かに、彼は栄光に包まれて逝きましたが、それを思っても、悲しみは少しも癒されないのであります」。

 12月2日、ナポレオン直々に率いるフランス大陸軍がオーストリア領モラヴィア(現在のチェコ)のアウステルリッツにおいてオーストリア・ロシア連合軍に完勝した。オーストリア皇帝フランツ1世及びロシア皇帝アレクサンドル1世も戦場に姿を見せていたことから「三帝会戦」とも呼ばれるこの「アウステルリッツの戦い」はナポレオンの生涯における最も華々しい勝利であり、その報告を受けたイギリス首相ピットは衝撃のあまり倒れ伏して翌年1月には病死した。ナポレオンはこの後さらにプロイセン軍を「イエナ・アウエルシュテットの戦い」で屈服せしめ、1806年には「ベルリン勅令」を発布した。大陸軍の覇権を背景としてヨーロッパ諸国とイギリスの貿易を禁止することで後者を経済的に締め上げようとするこの勅令は、しかし得意先(イギリス)と貿易出来なくなった諸国の強い反感を招き、やがてそこからナポレオンの没落へと繋がっていく。
 
 話をトラファルガーの海戦の直後に戻して……、12月5日、ネルソンの遺体を乗せた「ヴィクトリー」が本国に帰還した。葬儀は翌年の1月上旬に5日間に渡って行われた。フランス艦「オリアン」の棺の中にいれられたネルソンはまずグリニッジ廃兵院に3日間安置され、次にそこからロンドンまでテムズ川を遡るルートで運ばれた。この「川上大行進」には麗々しく装飾した小型艦や屋形船が多数参加し、ネルソンを安置した王室用の小船を護衛した。

 ロンドンではまず海軍本部の建物で一夜を過ごし、翌日セントポール大聖堂へと運ばれた。この時の葬送は国王以外の者に対して行われたものとしてはイギリスの歴史始まって以来という大規模なもので、まず陸軍の軽騎兵隊が先頭に立ち、続いて歩兵4個聯隊、そして「ヴィクトリー」の水兵代表48名が海戦で弾痕だらけになった軍艦旗を持って付き従った。その後ろには王太子を始めとするイギリス中の貴族たちが続く。ネルソンの棺を乗せた車は「ヴィクトリー」を象ったものでトラファルガーの勝利を象徴しており、さらにアブキール湾の海戦を象徴するヤシの葉があしらわれていた。

 セントポール大聖堂では聖歌隊が「我は復活なり、命なり」といった賛美歌を合唱し、ネルソンを讃える演説が次々と行われた。やがてネルソンの遺体が聖堂の地下へと運ばれていき、続いて「ヴィクトリー」の水兵たちが手近なテーブルの上にうやうやしく折りたたんだ軍艦旗を置く段となった。ところが水兵たちは当初の段取りを無視して軍艦旗から大きな切れ端をちぎりとり、それをさらに細かくちぎって皆で分けた。「これこそがネルソンだ」。
 

                                          おわり

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