1847年ミズーリ州うまれ。父は牧師だがカリフォルニアに金鉱を探しにいったまま客死し、母とその再婚相手によって育てられる。生まれ育ったミズーリ州は1861年に始まる「南北戦争」の激戦地となり、まだ10代のジェシーとその兄フランク、さらに従兄弟のヤンガー兄弟は南軍側のゲリラ隊「カントリル」に参加、隊長「血まみれのビル・アンダーソン」のもとで活躍したといわれている。
南北戦争は1865年に南軍の敗北によって終結した。南側の正規軍は一応の礼節をもって遇されたがゲリラは単なる犯罪者という扱いを受けたため、ジェシーとフランクはそのまま地下に潜伏し、本物の(?)犯罪者への道へと突き進むこととなる。66年2月13日、ジェシーは兄フランク、従兄弟のヤンガー兄弟らと共にミズーリ州クレイ郡貯蓄銀行を襲撃、合衆国史上初の平時の銀行強盗となった(南北戦争の時に行われたことはある)。客を装った一味の1人が窓口で両替えを頼み、行員が出てきたところで銃を突き付けるという手口である……この事件は実話だがジェシー一味が参加していたという確たる証拠は実はないらしい……。その年のうちに同じ手口でさらに1回、翌年にも2回の銀行強盗がミズーリ州内にて発生し、69年12月7日にやはりミズーリ州ギャランティンの銀行強盗にて犯人が乗り捨てた馬から初めてジェシーとその強盗団の名が知れ渡った。
この事件では無抵抗の銀行員1名が射殺されたが、被害者は元北軍兵士であり、この少し後に起こした駅馬車強盗では元南軍兵士からは何も盗らなかったことからジェシー一味は南部人の共感を呼ぶに至る。さらに72年にはカンザスシティーの農業博覧会に馬で乗り付け、数万人の見物客の面前で入場料の入った箱を堂々かっさらい、南部系新聞の絶賛を浴びた。
73年7月、列車強盗を敢行、レールを外して列車を脱線させ、貴重品輸送車に突入して金品を奪った。さすがにこれはやりすぎ。しかし翌年、今度は駅を占領して信号で列車をとめ、内部に乗り込んでホールド・アップ。この時、「御婦人と労働者からは盗らず、金持ちの紳士からのみ奪う」の名台詞を吐いたと言われている。多分伝説であろうが、敗戦の南部大衆は、北部資本に挑戦するジェシーの強盗団に、「失われた南部の大義」をみたのである。
FBIのないこの時代、州境を越えれば追手もかからない。事態を重く見た鉄道会社は強盗団に賞金をかけ、私立探偵ピンカートンを雇い入れた。74年、強盗団と探偵社はミズーリの各地で銃撃戦をくりひろげ、双方に死傷者が出た。75年1月、探偵社はジェシーの実家に手榴弾を投げ込み、ジェシーの弟を殺し母に重傷を負わせる。探偵社は南部人の憎悪の的となり、強盗団はシンパたちの厚い壁に守られた。
76年9月、強盗団はミネソタ州ノースフィールドのファースト・ナショナル銀行を襲撃した。 しかし北部辺境の住民たちの反撃は激しく、総勢8人の強盗団は実に6人を失った。 とくにこれまで協力しあってきたヤンガー兄弟と喧嘩わかれしたのが痛かった。 からくも逃げのびたジェシーと兄フランクは故郷ミズーリにて強盗団の再編をはかり、 以後数年間各地で銀行・列車強盗を繰り返した。が、どんな活躍にも終わりはやってくる。 1882年4月3日、ジェシーは1万ドルの賞金に目の眩んだ子分フォード兄弟の裏切りに倒れ、 34年の人生に幕をおろしたのだった。強盗生活16年、銀行強盗11回、列車強盗7回、 奪った金の総額は20万ドル、殺した人間は少なくとも16人。 1世紀たった今でも世界一有名な強盗としてその名を轟かせている。 (兄フランクは投降し、裁判で無罪となった。南部人の関係者に守られたのである)