「K・K・K」すなわち「クー・クラックス・クラン」は南北戦争に敗北した旧南部の6人の若者によって1865年12月に結成された黒人排斥の秘密結社である。その名称の意味ははっきりしないが、別名「見えざる南部帝国」とも呼ばれている。目だけ穴のあいた白頭巾を被り松明を掲げた異形の行列というあれは設立以来のものである。当初は幽霊の格好をして純朴な黒人を驚かすことだけを目的としていたが、そのうちに南軍の将軍だったネイサン・フォレストによって組織化され、みるみる数十万人に膨れ上がった団員の中には黒人に対して放火や暴行を行う者があとをたたなくなった。
K・K・Kの定めた時刻以降に出歩く黒人を鞭で打つ、南北戦争で手に入れた投票権を行使しようとする黒人を脅迫する、黒人に同情的な白人もリンチにかける、等々の行為は容易に殺人や略奪に結びつき、71年には連邦議会の査問委員会によって解散が宣告されるほどの事態に立ち至った。76年の大統領選挙の際、南部に対する(南北戦争終結以来の)軍政を最終的に終了するかわりに黒人の公民権を認めた憲法修正第14条を南部が守らなくても深く追及しない、との妥協がなされたため、「黒人の権利拡大反対」を標榜するK・K・Kの存在意義は一旦消滅した。
これが唐突に復活するのが1915年のことである。白装束の騎士の夢を見た35歳の牧師ウィリアム・ジョセフ・シモンズが34人の同志と共にアトランタ市の近くの丘にK・K・Kの象徴「火の十字架」を建立し、団の復活を宣言したのである。新生K・K・Kは伝統的なプロテスタンティズムを背景として黒人のみならずユダヤ人やカトリック教徒、さらに共産主義者までを激しく排撃し、10年後にはなんと400万人もの会員を数えるに至った。その位階は「クラッド」「クラング」「クレクスター」「クロカン」「クラリッフ」等々、どれも「K」を頭文字とするものとなっており、「見えざる南部帝国」の下に「王国」「クラントン」「クラヴァーン」「デン」と続く地方支部を有していた。入会の儀式を行う「偉大な夜」では丘の上に建てた鉄の十字架を油で燃え上がらせ、祭壇の上には聖書・星条旗・短剣等が置かれていた。入会式は100人単位で行い、終わると白装束のまま町を練り歩いた。
彼等は、好ましからざる黒人の全身に溶けたタールを塗り、その上を羽毛でくるむ「タール・アンド・フェザー」、焼ごて押し、手足切断といった残虐なリンチを行い、1920年代初頭の南部はK・K・Kによる暴力の巷と化した。例えば22年にはテキサス州だけで500件、翌年にはオクラホマ州だけで2300件もの暴行事件をひき起こしたという。ちなみにこの頃K・K・Kに対してドイツのナチス党から接触があったのだが、(ナチスからみたK・K・Kは)政治組織としてはあまりにも陳腐であったことから結局手を組む気にならなかったという。
K・K・Kは1930年代には連邦政府の取り締まりと内部腐敗によって再び消滅する。南部の田舎の警察や司法関係者にはK・K・Kに協力的な者も多かったのだが、州境を越えて犯罪を取り締まるFBIの権限が強化されたことが大きく作用したのである。
ところがこの組織は第二次世界大戦の後、黒人公民権運動に反発する形でまたしても復活し、それが今でも強力な組織を維持していることは皆さんも御存じのとおりである。
おわり