イラン・ロシア戦争
イランでカージャール朝が成立した1796年と言えば、ヨーロッパではちょうどナポレオンが台頭する時期である。ナポレオンは98年に海路エジプトに遠征し、そこからさらにインドをうかがっていた。1800年、ナポレオンの野望を阻止すべくイギリス(インドの支配者)がカージャール朝へと使節団を送り込んできた。それを迎えた時の君主ファト・アリー・シャーは軍需物資の供給と引き換えに領内のフランス人の追放を約束した。
その頃のカージャール朝に対しては、地理的にすぐ近くにあるロシアからの圧力が強くなってきていた。両国の間にあるグルジア王国はキリスト教(東方正教会)の国であって南東からのカージャール朝(イスラム教)の圧力に苦しんでおり、1800年には同じ宗教のロシア皇帝に主権を移譲するという手段に出ていた。このグルジア等の領有をめぐり、カージャール朝は1804年からロシアとの戦争を開始した。これが13年まで続く「第一次イラン・ロシア戦争」である。当然イギリスに援助が求められたが、その時点ではエジプトのフランス軍が降伏していたことから、イギリスとしてはロシアと交戦してまでカージャール朝を助ける理由がなくなっていた。するとフランスの使節団がカージャールの宮廷にやってくる。その頃のフランスはロシアと交戦中であり、カージャール朝もまたロシアと交戦中であることから当然の動きである。ガルダン将軍の率いるフランスの軍事顧問団はカージャール軍に洋式の歩兵部隊の創設を試みたが、1807年にはフランスとロシアの講和条約が成立し、イギリスの外交攻勢が強まったこともあってフランス人は退去していった。
しかし「第一次イラン・ロシア戦争」はまだ継続中である。カージャール朝の軍隊は……この戦争の時よりやや古い時代の資料によるが……騎兵は地方の遊牧部族の戦力に頼るもので、兵士たちは自分の部族の長のみに従い、歩兵は将校や地主が適当に徴募してきて満足な給料も与えないというものであった。装備は刀剣や弓矢、火器は概ね火縄銃であった。それでも戦争の前半はカージャール軍が優勢でロシア軍の南下を数次に渡って退けたが、12年のアスランドゥズの戦いはカージャール軍の敗北に終わり、翌13年の「ゴレスターン条約」にてグルジアやバクーを奪われたのであった。
その条約締結の舞台裏は……ロシアは12年から再びフランスと交戦状態に入っていた(ナポレオンのロシア遠征のこと)のだが、そのフランスの最大のライバルであるイギリスがカージャール朝とロシアの和睦を仲介する(ロシアの負担を楽にしてやる)ことで間接的にフランスに打撃を与えようとしたのが大きく働いていた。
しかしゴレスターン条約では帰属の不明瞭な地域が多く、両国間にて交渉が継続された。一方ではイギリスが14年カージャール朝との間に「テヘラン条約」を結び、イギリスが援助を与えるかわりにカージャール朝が他国と結んでいた条約を全て破棄するとした。
ところでカージャール朝は官僚機構が非常に軽視されており、例えば外交については外務省があるにはあったが役人は大臣と数人の補佐・書記のみで、25年に先のゴレスターン条約の調印を行ったハージー・ミールザー・アボル・ハサン・ハーン・シラーズィーが外相に就任して外務省の機構充実が図られるという状態であった。そんなことをやってる間の26年、ロシア軍が動いて係争地帯を占領してしまった。
こうして始まる「第二次イラン・ロシア戦争」も、最初はキリスト教徒に対するジハード(聖戦)という意識も手伝ったカージャール軍が優勢で前回の戦争の失地をほぼ回復した。26年にはカージャール朝の皇太子アッバース・ミールザーの率いる3万の軍勢でもってロシア軍を撃破しかけたが、しかし戦況判断の誤りから勝利を逃し、そのうちにカージャール軍の志気が緩んできた。司令官である皇太子アッバース・ミールザーと配下の将軍たちの仲が悪かったこと、装備面でロシア軍に劣っていたこと、兵士への給料支払いが滞って脱走が続出したこと……といった内情を掴んだロシア軍は強気の攻勢をかけて要地ダブリーズを占領、28年「トルコマンチャーイ条約」をカージャール朝に飲ませることに成功した。イギリスはロシアと事を構えてまでカージャール朝を助けようとはしなかった。ロシアはエリヴァーンやナフジャヴァーンを獲得し、カージャール朝はカスピ海に軍艦を持つことが禁止されてしまった。こうして現在の旧ソ連・イランの国境が画定された。
カージャール朝はさらに賠償金支払い、関税自主権の喪失と国内のロシア人の治外法権を承認した。これがカージャール朝が半植民地化されていく本格的第一歩とされている。
おわり
参考文献
『イランの歴史と文化』 蒲生禮一著 博文館 1941年
『中東現代史1』 永田雄三他著 山川出版社世界現代史11 1982年
『インドと中近東』 岩村忍他著 河出書房新社世界の歴史19 1990年
『西アジア史2』 永田雄三編 山川出版社新版世界各国史9 2002年
『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』 宮田律著 中公新書 2002年