ルネサンス以降のヨーロッパにおける歴史学は「教訓主義」にその基礎を置いていた。これは過去を知ることによって実践の指針を導きだそうとの考えである。マキャヴェリの『ローマ史論』『フィレンツェ史』等がよく知られ、歴史から教訓を引き出すためには偽造や粉飾を除外したリアルな歴史叙述が必要であると考えられていた。
しかし、教訓主義歴史学の目的は個々のケースにおける身の処し方に終始しており、18世紀に入る頃に登場する「進歩主義」にとってかわられていく。これは、物事(歴史)の成行きには一般的な原因があるとの理解に立ち、必然としての「発展段階」たる歴史の上に立つ現在と、その先にある未来を予測しようとの考えであるが、その「一般的な原因」とは何であるかが大問題となる。まず、フランス革命で政治家としても活躍したコンドルセ。彼は人類社会の進化は知識や学問といった「人間精神の進歩」によってもたらされると考える。次にスコットランドのアダム・スミス。『国富論』を著した彼は経済的発展をその基礎に置き、発展の諸段階を狩猟・牧畜・農業・商業であると考える。次にドイツのフリードリヒ・リストを代表とする「歴史学派経済学」。リストは故国ドイツがイギリスと比べて遅れた発展段階にあることを理解した上で、その段階に相応しい形の経済政策をとるべきと唱えようとする。
これらの説とは全く逆に、「歴史における進歩」なるものは哲学的にも歴史的にも実証出来ないと考えたのがドイツのレオポルド・フォン・ランケである。「進歩」なる人類史の目的がもし神とか運命とかいうものに与えられているとするならば、人間とは「意志のない道具」にすぎないし、人間の中に(進歩を指向する)なんらかの精神的な素質といったものが潜んでいるとすれば、人間とはまさに神であるというしかない。また、現在の人類の多くがいまだ原始状態にとどまっていることや、アジア文化が最古の時期に全盛期を迎え、その後はむしろ退行していること、ヨーロッパにおいても、その美術が15〜16世紀の極度の隆盛を経た後は極度に衰退していること等から、人類の全ての面が時代とともに発展するなどありえないということが分かるのである。その一方で、16世紀後半においては宗教的要素が圧倒的であり、18世紀には実用的要素が主流となったこと等、人類の各時代には、一定の著大な傾向が現れている。つまり、いわゆる進歩とは、「各時期において、人間精神のある動きが現れ、ある時にはこの傾向を、またある時には彼の傾向を顕著ならしめ、それにおいて独自な姿を呈示するという所に存ずる」という、そのことなのである。人間の活動はそれぞれの時代での良さや独自性を持つのであり、無条件の進歩は物質的なものにとどまっているという他ない。後の時代が前の時代を凌駕するとすればそれは「神の不公平」というものであり、「神の前には時間というものが存在しない故に、神は歴史上の全人類をその全体において見通していて、何処においても平等な価値をみとめているもの」なのである。「各時代は神に直結するもの」であり、それによって、「歴史における固体的生命の考察が、比類なき独自の魅力を持つ」にいたるのである。そこから生じる?過去のそれぞれの時代を、あるがままに知る?との思想は、そのまま?事実はどうであったか?の綿密な検証、すなわち実証性の重視へとつながることになる。これが近代歴史学のそもそもの始まりである。
『世界史概観』 ランケ著 鈴木成高・相原信作訳 岩波文庫 1961年改訂版
『歴史学入門』 浜林正夫・佐々木隆爾編 有斐閣 1992年
おわり